January 10, 2009 by aebee
アメリカを知るカギそれはユダヤなり遂に気づけり正午の陽ざし
アメリカもイスラエルもそも自らの手をもて国家を築きたるなり
Posted in Tanka (短歌) | 11 Comments
こちらに引っ越したのですね。 コメントのやり方・トラックバックのやり方について 教えてください。
新ソネット連句)小鳥くる(その六)
スタート 平成二十年十二月十日 ゴール メンバー 海老・今一(両吟)
噴水のなほふくらみて小鳥来る 海老 秋 声うれしさに紅葉ひらひら 今一 秋 紅葉 木こりらも月あふぎ見るsawの音 老 秋 月 ターシャの家コギーコテージ 一 雑
星影のワルツ流れて師走街 一 冬 雪なき海に陽の浸る見ゆ 老 冬 雪 地の果てへ孤高の旅は遥かなる 一 雑 みずからの影犬踏み行きし 老 雑
ガザの地は新年明けて停戦よ 老 新年 ここもかしこも福寿草咲く 一 新年 老 春 長句 一 春 短句
一 春 長句 花 老 夏 短句 時鳥
(海老通信)
長句 地の果ては新年明けて停戦よ (ガザ地区のことですけど、いきなり話題が変わってしまいましたでしょうか?)
(今一通信)
昼間出かけていました。遅くなりました。日本は夜の十時過ぎました。寒い日が続きます。
Q(ガザ地区のことですけど、いきなり話題が変わってしまいましたでしょうか?) A 連句というのは、芭蕉語録に、「三十六歩、一歩も戻ることなし」(歌仙三十六句は、前に前に進み、後戻りしてはいけない)ということで、「次から次へと話題を変えて行く訳で、話題を変える ことは、大いに結構です。そのように、次から次へと、違う世界を提示していく訳です。
☆ 今回の付け句で、一番に目につくことは、
地の果てへ孤高の犬の走り行く 一 雑 (打越) みずからの影を犬は踏み行きし 老 雑 (前句)
地の果ては新年明けて停戦よ 老 新年 (付句)
打越の句(前々句)の「地の果て」と今回の「地の果て」が同じで、「観音開き」の形になっていて一番忌避される形なのです。
☆ここは、ずばり、「ガザの地は」が、具体的で、時事句的な雰囲気で、面白いでしょう。これで行きましょう。
地の果ては新年明けて停戦よ → ガザの地は新年明けて停戦よ
☆みずからの影を犬は踏み行きし → みずからの影犬踏み行きし(七七句)
雪なき海に陽の浸る見ゆ 老 冬 雪(打越) 地の果てへ孤高の犬の走り行く 一 雑 (前句) → 地の果てへ孤高の旅の遥かなる みずからの影を犬は踏み行きし 老 雑 (付句) → みずからの影犬踏み行きし
前句の「犬」と「行く」が「同字」で、海老さんの犬は活かして、今一の犬を手入れしましょう。
☆ガザの地は新年明けて停戦よ 老 新年 ここもかしこも福寿草咲く 一 新年 老 春 長句
今度は、春の季語を入れて、五七五の長句をお願いします。
・・・、連句的に「やや手入れした方が良い」というものは、「手入れ」をしていきますので、 軽い気分で、よろしくお願いします。
では、楽しみにしています。
結構長くかけるんですね、コメント・・・・。観音開きは知りませんでした。春の季語で5-7-5ですね。
(その三十二)
新春恒例の「歌会始の儀」がこの一月十五日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。今年のお題は「生」。「天皇、皇后両陛下や皇族方、二万一千一百八十首の応募作から選ばれた十の入選者と選者、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)で民俗学者の谷川健一さん(八十七歳)の歌が、古式にのっとった節回しで朗読された」との新聞報道があった。その新聞報道の召人と選者の歌は次のとおりである。
召人 谷川健一さん
陽に染まる飛魚の羽きらきらし海中(わたなか)に春の潮(うしほ)生れて
選者 岡井隆さん
野の草の騒立ちやまぬたましひも我が生きてある証(あかし)とおもふ
選者 篠弘さん
われよりも生き長らへむ古書店にわが若書きの小著が並ぶ
選者 三枝昂之さん
この丘に生きるものみないとほしく木の実がこぼれ茶の花が咲く
選者 河野裕子さん
母がまだ生きゐし頃のこゑがする日向に出でてはいと振りむく
選者 永田和宏さん
生きてあるわが身の冷えはゆふぐれの柿の古木の火(ほ)めきに凭(もた)る
これらの日本歌壇を代表する方々の歌に接して、つくづく、塚本邦雄の次の言葉を思い起したのである。
・・・十三世紀初頭に絶顚から落ちた和歌は、一応このやうな奇異の姿で蘇つたかに見える。だが未来には、遠からぬある日には、決定的な滅びが待ちかまへてゐる。「短歌、それは六世紀におよそその形を成し、有為転変の末、二十世紀末まで辛うじて生きのび、若干の作者と読者を持つてゐた日本語韻文による五句三十一音基準の詩形」といつの日かエンシクロペディストは記し止める。その希求と使命を喪失し、忘れ去られてからも、なほ狂信的な作者と寛大極まる読者によつて有名無実のまま、かくも永く生き続けた文学形式が他にあるだろうか(「文学」昭和五一・一所収「陥穽の韻律」)。
これらのことについては、折りに触れて、先に見てきたところである。
(その十一) http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57587191.html
(その十五の一) http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57652577.html
(その十五の二) http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57652605.html
・・・今日、短歌はうたがひもなく「呪われた詩」であり、まことに不幸な選ばれた者達の苦しんでたづさはるべき、ひそかな無償の営為ではあるまいか(一九五五・『装飾楽句(カデンツア)』・「跋」抜粋)。 ・・・かつて定型詩はぼくの王国であつた。其処でぼくはすべてを所有し、一切を生み、ことごとく殺戮することができた。今日、短歌はぼくの流刑地であるかも知れない(一九六〇・『水銀傳説』・「跋」抜粋)。 ・・・短歌なる詩形がいかに特殊であり、いかに困難を極め、かつまた日本語の母胎、根幹として、怖るべき力を秘めてゐることが、身に沁みて感じられる。言語芸術は勿論叡智の所産であるが、韻文定型詩が形を成し、生れ出ようとする言語空間は、明らかに知性の介入を許さぬやうな気象學にも、大いに支配されてゐるやうだ。精妙巧緻な技法と、希有の秩序と調和なくしては成立せず、しかも歌はそれらを超えた非合理の、真空状態で一瞬に調べを得るのではなかろうか(一九七九・『天變の書』・「跋」抜粋)。 ・・・かつて、今日、短歌は既に亡び去り、存(ながら)へつつあるのは歌人のみと、わが寸懐を披瀝したことがある。人にではなくわれみづからに示す言葉であつた。和歌隆盛の世に歌人として生きることは必ずしも難事ではない。詩歌の澆季に、なほ歌人としての生に徹することこそ、わが業、わが使命と、言ひ聴かすことによつて、その困難な、空しい生を支えて来た永い日日であつた。遠からぬ未来には、その歌人、まことの「歌人(うたびと)」も、恐らく滅び去つてしまふだらう。この不吉な、確信に近い予感が、なほこの後も私を制作に駆り立てよう。そして、永遠の秀歌を遺す悲願は、私を鞭打ち続けるに違ひない(一九八二・『歌人』・「跋」抜粋)。 ・・短歌の五句三十一音なる黄金律は、作者一人一人の詩魂と美学によつて、次次と、古今未曾有の詞華を生み出す可能性を持つてゐる。すべて現れ盡したかに見える二十一世紀寸前の短歌に、いかなる「變」を招き、歌ひ、奏で得るかに懸けることのできるのは、あるひは世紀末歌人の特権であると考へてよからう(一九八六・『詩歌變』・「跋」抜粋)。 ・・正・負に焦点をあててあげつらふなら、短歌を含めた韻文定型詩は、すべて「負」を内在させてゐる。二十一世紀を眼前にして、なほ韻文、なほ定型に執するこの志は、しかしながら、単なる負ではない。その相乗によつて「正数」に豹変する「負数」である。拾の自乗によつて生じた百と、マイナス拾の自乗によつて生じたプラス百は、表面的に変ることはないが、実は根本的に異質である。韻文定型詩の負数的性格とは、この正数への変の可能性を秘めた、黄金津的「負」ではなかろうか(一九九一・『黄金律』・「跋」抜粋)
(その十七) http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57715828.html
塚本は、そのスタートの地点で、「短歌はうたがひもなく『呪われた詩』」として出発して、その最後の到達点は、「短歌の五句三十一音なる黄金律は、作者一人一人の詩魂と美学によつて、次次と、古今未曾有の詞華を生み出す可能性を持つてゐる」という、「短歌はうたがひもなく『黄金律の詩』」というものであった。 しかし、冒頭に掲げた、新春恒例の「歌会始の儀」の、その短歌の一首一首に触れて、どうにも、これは、塚本の言葉ですると、「短歌は既に亡び去り、存(ながら)へつつあるのは歌人のみ」という思いを深くしたのである。
○ 陽に染まる飛魚の羽きらきらし海中(わたなか)に春の潮(うしほ)生れて(谷川健一)
この「海中(わたなか)」と「潮(うしほ)の、このルビの用例がどうにも馴染めない思いがしてきたのである。 ○ 野の草の騒立ちやまぬたましひも我が生きてある証(あかし)とおもふ(岡井隆)
「騒立ちやまぬ」や「生きてある証(あかし)」とは、例えば、俳句の世界では、この大袈裟の表現は、どうにも馴染めないであろう。
○ われよりも生き長らへむ古書店にわが若書きの小著が並ぶ(篠弘) この歌の主題であれば、三十一音字の世界に因らなくても、それよりも倭小な十七音字の世界、例えば、「古書店にわが若書きの著が並ぶ」で事足りるのではなかろうか。
○ この丘に生きるものみないとほしく木の実がこぼれ茶の花が咲く(三枝昂之)
「この丘に生きるものみないとほしく」と「木の実がこぼれ茶の花が咲く」との取り合わせが、やはり、歌人特有の詠嘆調が匂ってくるのである。
○ 母がまだ生きゐし頃のこゑがする日向に出でてはいと振りむく(河野裕子)
「生きゐし」・「こゑがする」・「出でて」の、この古典的措辞に、「はいと振りむく」の、この口語的措辞が、どうにも馴染めない。
○ 生きてあるわが身の冷えはゆふぐれの柿の古木の火(ほ)めきに凭(もた)る(永田和宏)
唯一、この歌に惹かれたのであるが、やはり、「古木の火(ほ)めきに凭(もた)る」に、短歌の「呪われた詩」のようなものを感じたのである。
これらの歌に接して、上記のような素朴な疑問とともに、それにも増して、これらの著名な歌人の方々は、かの「万葉集」などの宮廷歌人と同じく、皇室・宮廷と深く関わり持つことに、何らの違和感を持たないところの、歌人という集団と歌人とは、俳句などを含めて、他の文芸とは一線を画した世界のものなのであろうかという疑問が、どうしても拭い去ることが出来なかったのである。 かって、これらのことに関連して次のように記した(その十七)。
・・・この日本の「文化国家」と「短歌の前の平等」を象徴する短歌人の一人として、岡井隆が、「歌会始選者」になり、そして、「宮内庁御用掛」に就任したことに関連して、「本来左翼的だった前衛歌人が皇室に仕えるようになったことに対しては批判がある」ということについては、これは、短歌というジャンルを知らない者の一方的な批判であり、どうころんでも、詩とか俳句とか、はたまた、小説とかのジャンルに所属している者は、成ろうとしても成れない、そういう「日本語韻文による五句三十一音基準の詩形」の「短歌」だけに許容されるところの特権なのであろう。
皇室に「歌会始の儀」という行事があり、国を挙げてのイベントとして、国民ともども「日本語韻文による五句三十一音基準の詩形」の「短歌」を創作して、詠じ合うということは、これらを是とすることがあっても、それを非とする欠片も持ち合わせてはいないが、それらを実質的にリードしていく、日本歌壇を代表する方々が、揃いも揃って、遙かに昔の、かの万葉時代の宮廷歌人そのもののような、そして、その世界の内だけでの、いわば、「日本歌壇という身内だけでの創作活動に終始しているのではないか」というイメージしか、これらの歌に接する者に与えないという現実は、これは、やはり、繰り返すことになるが、塚本の言葉の、「短歌は既に亡び去り、存(ながら)へつつあるのは歌人のみ」ということと、その「歌人」は、実は、「宮廷歌人」そのものなのだという思いがしてきたのである(少なくとも国民の一人として何らの誇張もせずありのままの素直な感慨なのである)。 このことを、もっと具体的なイメージとして、この「宮廷歌人」を「宮廷画家」と置き換えても良い。すなわち、日本の「宮廷」には、「日本画」が相応しいとして、揃いも揃って、全員が、「日本画の画材・日本画の手法・日本画の構成」で、日本中の誰にでも平等に受け入れ易い「日本画の宮廷用の具象画」を、新春に当たって、まるで、談合したかのように、その小品を献じ合っているようなイメージなのである。 ここまで来て、こと日本歌壇という集団とその集団に属する歌人の世界だけではなく、 日本俳壇、そして、その集団に属する俳人などの、いわゆる「定型詩」という世界においては、総じて、身内意識の強い、閉鎖的な世界であって、その世界の外のことには、全然無関心という風潮が蔓延しているのではないかとうということを指摘せずにはいられないのである。 さらに続けたい、詩(北園克衛)・短歌(岡本邦雄)・俳句(高柳重信)、そして、詩・短歌・俳句(寺山修司)の、その「詩・短歌・俳句」という三ジャンルで、「短歌」と「俳句」に携わっている方々は、その「短歌・俳句の新しい息吹(再生)」のために、今こそ、無尽蔵の宝を秘蔵している「詩」というジャンルに、限りない愛着と限りない接近とを、それぞれが、それぞれに、己のやり方で模索し続ける時が来たのだと、しみじみと、且つ、切実に思えてならないのである。
(追記)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷川健一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%81%A5%E4%B8%80
熊本県水俣生まれ。詩人谷川雁・東洋史家谷川道雄の長兄。熊本中学、東京帝国大学文学部(専攻フランス文学[要出典])卒業。平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 – 60年)、『日本残酷物語』(1959 – 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。谷川健一全歌集 春風社, 2007 など。 (略)
岡井隆 (その十六)で触れた
http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57680885.html
篠弘 『ウィキペディア』の記事なし
一九三三年(昭和八年)東京都生まれ。五五年早大国文科卒。 小学館に入社し、百科事典編集長を経て、取締役出版本部長、社長室顧問。土岐善麿・窪田幸一郎に師事し、目下「まひる野」代表。 歌集多数、『至福の旅びと』で第二九回遁空賞、『凱旋門』で第十五回詩歌文学館賞、などなど。 講演録中の『近代短歌論争史』明治大正編・昭和編の全二巻で第5回現代短歌大賞など。詩歌文学館館長・前現代歌人協会会長。
三枝昂之
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9E%9D%E6%98%82%E4%B9%8B
三枝 昂之(さいぐさ たかゆき、1944年 – )は日本の歌人・文芸評論家。山梨県甲府市生まれ。父・清浩は窪田空穂門下の歌人。五人兄弟の四男。歌人の今野寿美は妻、同じく歌人の三枝浩樹は弟(五男)。 早稲田大学入学と同時に早稲田大学短歌会に入会。機関誌「早稲田短歌」には初期評論「60年から70年への中間で」など、現在の旺盛な評論活動の片鱗をうかがうことができる。早稲田大学政治経済学部卒業。1969年には福島泰樹、伊藤一彦、三枝浩樹らと共に伝説の同人誌「反措定」を創刊。創刊号の時評「内なる”王国”に向けて」では「短歌をボソボソとつくり続けている唯一の理由は、自己の暗い衝動を自己から発して、自己に帰るという孤立的な円環の中で表現し、対象化し続けることがある全体への融合、自己の根や王国に限りなく自己を近づける行為であると確信するからに他ならない」と論じている。その後、1978年に馬場あき子主宰の結社誌「かりん」に入会。同年、第2歌集『水の覇権』により第22回現代歌人協会賞受賞。1992年には三枝浩樹、今野寿美と共に歌誌『りとむ』を創刊。(略)
河野裕子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E8%A3%95%E5%AD%90
河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年(昭和21年)7月24日 – )は、日本の歌人。「塔」選者。夫は歌人の永田和宏。娘に同じく歌人の永田紅。 熊本県出身。高校時代より作歌を始める。京都女子高等学校、京都女子大学文学部国文科卒業。大学3回生のときに角川短歌賞受賞。歌集「森のやうに獣のやうに」は、みずみずしい青春の恋愛歌を収める。新鮮な言葉で、女性の心をのびやかにうたっている。現在は毎日新聞歌壇、NHK短歌の選者や織田作之助賞の選考委員にもなっている。(略)
永田和宏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%AE%8F
永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、日本の歌人、細胞生物学者。京都大学教授。短歌結社「塔」主宰。夫人は歌人の河野裕子。長男永田淳、長女永田紅も歌人。理学博士(京都大学、1979年)。滋賀県出身。 京都大学在学中に短歌を始め、高安国世に師事した。歌風は初期の前衛短歌の影響を色濃く受けたものから、それを消化した、身辺に取材した平明なものに変化してきている。「短歌合わせ鏡の説」(『表現の喫水』)に代表される明晰な理論家としても現代歌壇の中心に位置している。(略)
留守にしていました。ヤフーのブログ外のものは、なかなか難しい感じ ですね。
>春の季語で5-7-5ですね。
これまでの全体を見て、同じような言葉を避けて、作句してください。
「Your comment is awaiting moderation.」 この表示が出ると、さきほどのコメントは届いているのかな(?) ↓ アメリカのブログで感じが違いますね。(これは届くのかどうか不明。)
(新ソネット連句)小鳥くる(その七)
ガザの地は新年明けて停戦よ 老 新年 ここもかしこも福寿草咲く 一 新年 パルス湧く記憶のごとくに若布寄す 老 春 稜線遥か赤き風船 一 春
老 春 長句 花 一 夏 短句 時鳥
遅くなりました。「記憶のごとくに若布漂ふ」
ウーン、ここは、長句(五七五句)のところですね。前句の短句(七七句)に引っ張られた感じですね。 再案とも思ったのですが、前に進めるということで、次の短歌を背景として、手直して、先に、進みましょう。
○ なだらかに断層にそそぐ稜線の潔き見ゆ三日(さんじつ)の午後 ○ 肉体を忘れんがため走り来し二種類のパルスわが内に湧く ○ 海よりも風の眩しさ若布寄す (山田慶子) ○ 記憶のごとくに若布漂ふ → パルス湧く記憶のごとくに若布寄す
☆ 続いて、花の長句をお願いします。花の句には、桜とか梅とかの特定の花ではなく、必ず、「花」の言葉での句とするように心がけてください。 では、楽しみにしています。
「春の花陽の方角に拡がれり」ではどうでしょう
(新ソネット連句)小鳥くる(その八)
スタート 平成二十年十二月 十日 ゴール 平成二十一年二月十五日 メンバー 海老・今一(両吟)
花々の陽の方角に拡がれり 老 春 花 「の」の隙間より山ほととぎす 一 夏 時鳥
(海老通信)
最後のは「花々ら陽の方角に拡がれり」でいいですか?
(今一通信)
花々ら陽の方角に拡がれり → 花々の陽の方角に拡がれり
好みの北園克衛の「の」を活かしたい。
optical poem 北園克衛
水の 風の 音の 砂の 円錐のなかの 砂の 水の 風の 音の 四角のなかの 黒の 青の 緑の 黄の 四角のなかの
黄の 緑の 黒の 青の 煙の螺旋 『BLUE』 (VOU刊。昭和五十四年)
☆ 途中で、海老さんのブログの引っ越しがあり、ロングランであったが、「十四行」の「四・四・四・二」のソネットものがゴール。
☆ 次に、夏石番矢さんの次の句を発句して、スタートしたい。その七七句を考えておいてください。これから、出掛けますので、帰ってきましたら、メールします。
・・・ 東京に破顔の千年樫ありき 簡単に解釈すると、東京というモダンな都市にも、カシの巨木があるじゃないか。思わず笑ってしまう、といった意味だろうか。(略) この句の場合、大都市の東京と古代の信仰の対象である巨木を組み合わせながら、その矛盾を破顔という言葉でつないだところが、俳句らしい面白さになっている。
Seiseiさん、Notify me of follow-up comments via email. にチェックマークを入れると多分、私が返事をしたらそちらに通知がいくのだと思います。 本当によく続きましたね!試験が終わったらゆっくり拝見します。長句は今日作ります。
あ、そうでした!すっかり忘れていました!
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新ソネット連句)小鳥くる(その六)
スタート 平成二十年十二月十日
ゴール
メンバー 海老・今一(両吟)
噴水のなほふくらみて小鳥来る 海老 秋
声うれしさに紅葉ひらひら 今一 秋 紅葉
木こりらも月あふぎ見るsawの音 老 秋 月
ターシャの家コギーコテージ 一 雑
星影のワルツ流れて師走街 一 冬
雪なき海に陽の浸る見ゆ 老 冬 雪
地の果てへ孤高の旅は遥かなる 一 雑
みずからの影犬踏み行きし 老 雑
ガザの地は新年明けて停戦よ 老 新年
ここもかしこも福寿草咲く 一 新年
老 春 長句
一 春 短句
一 春 長句 花
老 夏 短句 時鳥
(海老通信)
長句 地の果ては新年明けて停戦よ (ガザ地区のことですけど、いきなり話題が変わってしまいましたでしょうか?)
(今一通信)
昼間出かけていました。遅くなりました。日本は夜の十時過ぎました。寒い日が続きます。
Q(ガザ地区のことですけど、いきなり話題が変わってしまいましたでしょうか?)
A 連句というのは、芭蕉語録に、「三十六歩、一歩も戻ることなし」(歌仙三十六句は、前に前に進み、後戻りしてはいけない)ということで、「次から次へと話題を変えて行く訳で、話題を変える
ことは、大いに結構です。そのように、次から次へと、違う世界を提示していく訳です。
☆ 今回の付け句で、一番に目につくことは、
地の果てへ孤高の犬の走り行く 一 雑 (打越)
みずからの影を犬は踏み行きし 老 雑 (前句)
地の果ては新年明けて停戦よ 老 新年 (付句)
打越の句(前々句)の「地の果て」と今回の「地の果て」が同じで、「観音開き」の形になっていて一番忌避される形なのです。
☆ここは、ずばり、「ガザの地は」が、具体的で、時事句的な雰囲気で、面白いでしょう。これで行きましょう。
地の果ては新年明けて停戦よ → ガザの地は新年明けて停戦よ
☆みずからの影を犬は踏み行きし → みずからの影犬踏み行きし(七七句)
雪なき海に陽の浸る見ゆ 老 冬 雪(打越)
地の果てへ孤高の犬の走り行く 一 雑 (前句) → 地の果てへ孤高の旅の遥かなる
みずからの影を犬は踏み行きし 老 雑 (付句) → みずからの影犬踏み行きし
前句の「犬」と「行く」が「同字」で、海老さんの犬は活かして、今一の犬を手入れしましょう。
☆ガザの地は新年明けて停戦よ 老 新年
ここもかしこも福寿草咲く 一 新年
老 春 長句
今度は、春の季語を入れて、五七五の長句をお願いします。
・・・、連句的に「やや手入れした方が良い」というものは、「手入れ」をしていきますので、
軽い気分で、よろしくお願いします。
では、楽しみにしています。
結構長くかけるんですね、コメント・・・・。観音開きは知りませんでした。春の季語で5-7-5ですね。
(その三十二)
新春恒例の「歌会始の儀」がこの一月十五日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。今年のお題は「生」。「天皇、皇后両陛下や皇族方、二万一千一百八十首の応募作から選ばれた十の入選者と選者、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)で民俗学者の谷川健一さん(八十七歳)の歌が、古式にのっとった節回しで朗読された」との新聞報道があった。その新聞報道の召人と選者の歌は次のとおりである。
召人 谷川健一さん
陽に染まる飛魚の羽きらきらし海中(わたなか)に春の潮(うしほ)生れて
選者 岡井隆さん
野の草の騒立ちやまぬたましひも我が生きてある証(あかし)とおもふ
選者 篠弘さん
われよりも生き長らへむ古書店にわが若書きの小著が並ぶ
選者 三枝昂之さん
この丘に生きるものみないとほしく木の実がこぼれ茶の花が咲く
選者 河野裕子さん
母がまだ生きゐし頃のこゑがする日向に出でてはいと振りむく
選者 永田和宏さん
生きてあるわが身の冷えはゆふぐれの柿の古木の火(ほ)めきに凭(もた)る
これらの日本歌壇を代表する方々の歌に接して、つくづく、塚本邦雄の次の言葉を思い起したのである。
・・・十三世紀初頭に絶顚から落ちた和歌は、一応このやうな奇異の姿で蘇つたかに見える。だが未来には、遠からぬある日には、決定的な滅びが待ちかまへてゐる。「短歌、それは六世紀におよそその形を成し、有為転変の末、二十世紀末まで辛うじて生きのび、若干の作者と読者を持つてゐた日本語韻文による五句三十一音基準の詩形」といつの日かエンシクロペディストは記し止める。その希求と使命を喪失し、忘れ去られてからも、なほ狂信的な作者と寛大極まる読者によつて有名無実のまま、かくも永く生き続けた文学形式が他にあるだろうか(「文学」昭和五一・一所収「陥穽の韻律」)。
これらのことについては、折りに触れて、先に見てきたところである。
(その十一) http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57587191.html
(その十五の一) http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57652577.html
(その十五の二) http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57652605.html
・・・今日、短歌はうたがひもなく「呪われた詩」であり、まことに不幸な選ばれた者達の苦しんでたづさはるべき、ひそかな無償の営為ではあるまいか(一九五五・『装飾楽句(カデンツア)』・「跋」抜粋)。
・・・かつて定型詩はぼくの王国であつた。其処でぼくはすべてを所有し、一切を生み、ことごとく殺戮することができた。今日、短歌はぼくの流刑地であるかも知れない(一九六〇・『水銀傳説』・「跋」抜粋)。
・・・短歌なる詩形がいかに特殊であり、いかに困難を極め、かつまた日本語の母胎、根幹として、怖るべき力を秘めてゐることが、身に沁みて感じられる。言語芸術は勿論叡智の所産であるが、韻文定型詩が形を成し、生れ出ようとする言語空間は、明らかに知性の介入を許さぬやうな気象學にも、大いに支配されてゐるやうだ。精妙巧緻な技法と、希有の秩序と調和なくしては成立せず、しかも歌はそれらを超えた非合理の、真空状態で一瞬に調べを得るのではなかろうか(一九七九・『天變の書』・「跋」抜粋)。
・・・かつて、今日、短歌は既に亡び去り、存(ながら)へつつあるのは歌人のみと、わが寸懐を披瀝したことがある。人にではなくわれみづからに示す言葉であつた。和歌隆盛の世に歌人として生きることは必ずしも難事ではない。詩歌の澆季に、なほ歌人としての生に徹することこそ、わが業、わが使命と、言ひ聴かすことによつて、その困難な、空しい生を支えて来た永い日日であつた。遠からぬ未来には、その歌人、まことの「歌人(うたびと)」も、恐らく滅び去つてしまふだらう。この不吉な、確信に近い予感が、なほこの後も私を制作に駆り立てよう。そして、永遠の秀歌を遺す悲願は、私を鞭打ち続けるに違ひない(一九八二・『歌人』・「跋」抜粋)。
・・短歌の五句三十一音なる黄金律は、作者一人一人の詩魂と美学によつて、次次と、古今未曾有の詞華を生み出す可能性を持つてゐる。すべて現れ盡したかに見える二十一世紀寸前の短歌に、いかなる「變」を招き、歌ひ、奏で得るかに懸けることのできるのは、あるひは世紀末歌人の特権であると考へてよからう(一九八六・『詩歌變』・「跋」抜粋)。
・・正・負に焦点をあててあげつらふなら、短歌を含めた韻文定型詩は、すべて「負」を内在させてゐる。二十一世紀を眼前にして、なほ韻文、なほ定型に執するこの志は、しかしながら、単なる負ではない。その相乗によつて「正数」に豹変する「負数」である。拾の自乗によつて生じた百と、マイナス拾の自乗によつて生じたプラス百は、表面的に変ることはないが、実は根本的に異質である。韻文定型詩の負数的性格とは、この正数への変の可能性を秘めた、黄金津的「負」ではなかろうか(一九九一・『黄金律』・「跋」抜粋)
(その十七) http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57715828.html
塚本は、そのスタートの地点で、「短歌はうたがひもなく『呪われた詩』」として出発して、その最後の到達点は、「短歌の五句三十一音なる黄金律は、作者一人一人の詩魂と美学によつて、次次と、古今未曾有の詞華を生み出す可能性を持つてゐる」という、「短歌はうたがひもなく『黄金律の詩』」というものであった。
しかし、冒頭に掲げた、新春恒例の「歌会始の儀」の、その短歌の一首一首に触れて、どうにも、これは、塚本の言葉ですると、「短歌は既に亡び去り、存(ながら)へつつあるのは歌人のみ」という思いを深くしたのである。
○ 陽に染まる飛魚の羽きらきらし海中(わたなか)に春の潮(うしほ)生れて(谷川健一)
この「海中(わたなか)」と「潮(うしほ)の、このルビの用例がどうにも馴染めない思いがしてきたのである。
○ 野の草の騒立ちやまぬたましひも我が生きてある証(あかし)とおもふ(岡井隆)
「騒立ちやまぬ」や「生きてある証(あかし)」とは、例えば、俳句の世界では、この大袈裟の表現は、どうにも馴染めないであろう。
○ われよりも生き長らへむ古書店にわが若書きの小著が並ぶ(篠弘)
この歌の主題であれば、三十一音字の世界に因らなくても、それよりも倭小な十七音字の世界、例えば、「古書店にわが若書きの著が並ぶ」で事足りるのではなかろうか。
○ この丘に生きるものみないとほしく木の実がこぼれ茶の花が咲く(三枝昂之)
「この丘に生きるものみないとほしく」と「木の実がこぼれ茶の花が咲く」との取り合わせが、やはり、歌人特有の詠嘆調が匂ってくるのである。
○ 母がまだ生きゐし頃のこゑがする日向に出でてはいと振りむく(河野裕子)
「生きゐし」・「こゑがする」・「出でて」の、この古典的措辞に、「はいと振りむく」の、この口語的措辞が、どうにも馴染めない。
○ 生きてあるわが身の冷えはゆふぐれの柿の古木の火(ほ)めきに凭(もた)る(永田和宏)
唯一、この歌に惹かれたのであるが、やはり、「古木の火(ほ)めきに凭(もた)る」に、短歌の「呪われた詩」のようなものを感じたのである。
これらの歌に接して、上記のような素朴な疑問とともに、それにも増して、これらの著名な歌人の方々は、かの「万葉集」などの宮廷歌人と同じく、皇室・宮廷と深く関わり持つことに、何らの違和感を持たないところの、歌人という集団と歌人とは、俳句などを含めて、他の文芸とは一線を画した世界のものなのであろうかという疑問が、どうしても拭い去ることが出来なかったのである。
かって、これらのことに関連して次のように記した(その十七)。
・・・この日本の「文化国家」と「短歌の前の平等」を象徴する短歌人の一人として、岡井隆が、「歌会始選者」になり、そして、「宮内庁御用掛」に就任したことに関連して、「本来左翼的だった前衛歌人が皇室に仕えるようになったことに対しては批判がある」ということについては、これは、短歌というジャンルを知らない者の一方的な批判であり、どうころんでも、詩とか俳句とか、はたまた、小説とかのジャンルに所属している者は、成ろうとしても成れない、そういう「日本語韻文による五句三十一音基準の詩形」の「短歌」だけに許容されるところの特権なのであろう。
皇室に「歌会始の儀」という行事があり、国を挙げてのイベントとして、国民ともども「日本語韻文による五句三十一音基準の詩形」の「短歌」を創作して、詠じ合うということは、これらを是とすることがあっても、それを非とする欠片も持ち合わせてはいないが、それらを実質的にリードしていく、日本歌壇を代表する方々が、揃いも揃って、遙かに昔の、かの万葉時代の宮廷歌人そのもののような、そして、その世界の内だけでの、いわば、「日本歌壇という身内だけでの創作活動に終始しているのではないか」というイメージしか、これらの歌に接する者に与えないという現実は、これは、やはり、繰り返すことになるが、塚本の言葉の、「短歌は既に亡び去り、存(ながら)へつつあるのは歌人のみ」ということと、その「歌人」は、実は、「宮廷歌人」そのものなのだという思いがしてきたのである(少なくとも国民の一人として何らの誇張もせずありのままの素直な感慨なのである)。
このことを、もっと具体的なイメージとして、この「宮廷歌人」を「宮廷画家」と置き換えても良い。すなわち、日本の「宮廷」には、「日本画」が相応しいとして、揃いも揃って、全員が、「日本画の画材・日本画の手法・日本画の構成」で、日本中の誰にでも平等に受け入れ易い「日本画の宮廷用の具象画」を、新春に当たって、まるで、談合したかのように、その小品を献じ合っているようなイメージなのである。
ここまで来て、こと日本歌壇という集団とその集団に属する歌人の世界だけではなく、
日本俳壇、そして、その集団に属する俳人などの、いわゆる「定型詩」という世界においては、総じて、身内意識の強い、閉鎖的な世界であって、その世界の外のことには、全然無関心という風潮が蔓延しているのではないかとうということを指摘せずにはいられないのである。
さらに続けたい、詩(北園克衛)・短歌(岡本邦雄)・俳句(高柳重信)、そして、詩・短歌・俳句(寺山修司)の、その「詩・短歌・俳句」という三ジャンルで、「短歌」と「俳句」に携わっている方々は、その「短歌・俳句の新しい息吹(再生)」のために、今こそ、無尽蔵の宝を秘蔵している「詩」というジャンルに、限りない愛着と限りない接近とを、それぞれが、それぞれに、己のやり方で模索し続ける時が来たのだと、しみじみと、且つ、切実に思えてならないのである。
(追記)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷川健一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%81%A5%E4%B8%80
熊本県水俣生まれ。詩人谷川雁・東洋史家谷川道雄の長兄。熊本中学、東京帝国大学文学部(専攻フランス文学[要出典])卒業。平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 – 60年)、『日本残酷物語』(1959 – 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。谷川健一全歌集 春風社, 2007 など。 (略)
岡井隆 (その十六)で触れた
http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57680885.html
篠弘 『ウィキペディア』の記事なし
一九三三年(昭和八年)東京都生まれ。五五年早大国文科卒。 小学館に入社し、百科事典編集長を経て、取締役出版本部長、社長室顧問。土岐善麿・窪田幸一郎に師事し、目下「まひる野」代表。 歌集多数、『至福の旅びと』で第二九回遁空賞、『凱旋門』で第十五回詩歌文学館賞、などなど。 講演録中の『近代短歌論争史』明治大正編・昭和編の全二巻で第5回現代短歌大賞など。詩歌文学館館長・前現代歌人協会会長。
三枝昂之
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9E%9D%E6%98%82%E4%B9%8B
三枝 昂之(さいぐさ たかゆき、1944年 – )は日本の歌人・文芸評論家。山梨県甲府市生まれ。父・清浩は窪田空穂門下の歌人。五人兄弟の四男。歌人の今野寿美は妻、同じく歌人の三枝浩樹は弟(五男)。
早稲田大学入学と同時に早稲田大学短歌会に入会。機関誌「早稲田短歌」には初期評論「60年から70年への中間で」など、現在の旺盛な評論活動の片鱗をうかがうことができる。早稲田大学政治経済学部卒業。1969年には福島泰樹、伊藤一彦、三枝浩樹らと共に伝説の同人誌「反措定」を創刊。創刊号の時評「内なる”王国”に向けて」では「短歌をボソボソとつくり続けている唯一の理由は、自己の暗い衝動を自己から発して、自己に帰るという孤立的な円環の中で表現し、対象化し続けることがある全体への融合、自己の根や王国に限りなく自己を近づける行為であると確信するからに他ならない」と論じている。その後、1978年に馬場あき子主宰の結社誌「かりん」に入会。同年、第2歌集『水の覇権』により第22回現代歌人協会賞受賞。1992年には三枝浩樹、今野寿美と共に歌誌『りとむ』を創刊。(略)
河野裕子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E8%A3%95%E5%AD%90
河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年(昭和21年)7月24日 – )は、日本の歌人。「塔」選者。夫は歌人の永田和宏。娘に同じく歌人の永田紅。
熊本県出身。高校時代より作歌を始める。京都女子高等学校、京都女子大学文学部国文科卒業。大学3回生のときに角川短歌賞受賞。歌集「森のやうに獣のやうに」は、みずみずしい青春の恋愛歌を収める。新鮮な言葉で、女性の心をのびやかにうたっている。現在は毎日新聞歌壇、NHK短歌の選者や織田作之助賞の選考委員にもなっている。(略)
永田和宏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%AE%8F
永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、日本の歌人、細胞生物学者。京都大学教授。短歌結社「塔」主宰。夫人は歌人の河野裕子。長男永田淳、長女永田紅も歌人。理学博士(京都大学、1979年)。滋賀県出身。
京都大学在学中に短歌を始め、高安国世に師事した。歌風は初期の前衛短歌の影響を色濃く受けたものから、それを消化した、身辺に取材した平明なものに変化してきている。「短歌合わせ鏡の説」(『表現の喫水』)に代表される明晰な理論家としても現代歌壇の中心に位置している。(略)
留守にしていました。ヤフーのブログ外のものは、なかなか難しい感じ
ですね。
>春の季語で5-7-5ですね。
これまでの全体を見て、同じような言葉を避けて、作句してください。
新ソネット連句)小鳥くる(その六)
スタート 平成二十年十二月十日
ゴール
メンバー 海老・今一(両吟)
噴水のなほふくらみて小鳥来る 海老 秋
声うれしさに紅葉ひらひら 今一 秋 紅葉
木こりらも月あふぎ見るsawの音 老 秋 月
ターシャの家コギーコテージ 一 雑
星影のワルツ流れて師走街 一 冬
雪なき海に陽の浸る見ゆ 老 冬 雪
地の果てへ孤高の旅は遥かなる 一 雑
みずからの影犬踏み行きし 老 雑
ガザの地は新年明けて停戦よ 老 新年
ここもかしこも福寿草咲く 一 新年
老 春 長句
一 春 短句
一 春 長句 花
老 夏 短句 時鳥
「Your comment is awaiting moderation.」
この表示が出ると、さきほどのコメントは届いているのかな(?)
↓
アメリカのブログで感じが違いますね。(これは届くのかどうか不明。)
(新ソネット連句)小鳥くる(その七)
スタート 平成二十年十二月十日
ゴール
メンバー 海老・今一(両吟)
噴水のなほふくらみて小鳥来る 海老 秋
声うれしさに紅葉ひらひら 今一 秋 紅葉
木こりらも月あふぎ見るsawの音 老 秋 月
ターシャの家コギーコテージ 一 雑
星影のワルツ流れて師走街 一 冬
雪なき海に陽の浸る見ゆ 老 冬 雪
地の果てへ孤高の旅は遥かなる 一 雑
みずからの影犬踏み行きし 老 雑
ガザの地は新年明けて停戦よ 老 新年
ここもかしこも福寿草咲く 一 新年
パルス湧く記憶のごとくに若布寄す 老 春
稜線遥か赤き風船 一 春
老 春 長句 花
一 夏 短句 時鳥
(海老通信)
遅くなりました。「記憶のごとくに若布漂ふ」
(今一通信)
ウーン、ここは、長句(五七五句)のところですね。前句の短句(七七句)に引っ張られた感じですね。
再案とも思ったのですが、前に進めるということで、次の短歌を背景として、手直して、先に、進みましょう。
○ なだらかに断層にそそぐ稜線の潔き見ゆ三日(さんじつ)の午後
○ 肉体を忘れんがため走り来し二種類のパルスわが内に湧く
○ 海よりも風の眩しさ若布寄す (山田慶子)
○ 記憶のごとくに若布漂ふ → パルス湧く記憶のごとくに若布寄す
☆ 続いて、花の長句をお願いします。花の句には、桜とか梅とかの特定の花ではなく、必ず、「花」の言葉での句とするように心がけてください。
では、楽しみにしています。
「春の花陽の方角に拡がれり」ではどうでしょう
(新ソネット連句)小鳥くる(その八)
スタート 平成二十年十二月 十日
ゴール 平成二十一年二月十五日
メンバー 海老・今一(両吟)
噴水のなほふくらみて小鳥来る 海老 秋
声うれしさに紅葉ひらひら 今一 秋 紅葉
木こりらも月あふぎ見るsawの音 老 秋 月
ターシャの家コギーコテージ 一 雑
星影のワルツ流れて師走街 一 冬
雪なき海に陽の浸る見ゆ 老 冬 雪
地の果てへ孤高の旅は遥かなる 一 雑
みずからの影犬踏み行きし 老 雑
ガザの地は新年明けて停戦よ 老 新年
ここもかしこも福寿草咲く 一 新年
パルス湧く記憶のごとくに若布寄す 老 春
稜線遥か赤き風船 一 春
花々の陽の方角に拡がれり 老 春 花
「の」の隙間より山ほととぎす 一 夏 時鳥
(海老通信)
最後のは「花々ら陽の方角に拡がれり」でいいですか?
(今一通信)
花々ら陽の方角に拡がれり → 花々の陽の方角に拡がれり
好みの北園克衛の「の」を活かしたい。
optical poem 北園克衛
水の
風の
音の
砂の
円錐のなかの
砂の
水の
風の
音の
四角のなかの
黒の
青の
緑の
黄の
四角のなかの
黄の
緑の
黒の
青の
煙の螺旋 『BLUE』 (VOU刊。昭和五十四年)
☆ 途中で、海老さんのブログの引っ越しがあり、ロングランであったが、「十四行」の「四・四・四・二」のソネットものがゴール。
☆ 次に、夏石番矢さんの次の句を発句して、スタートしたい。その七七句を考えておいてください。これから、出掛けますので、帰ってきましたら、メールします。
・・・ 東京に破顔の千年樫ありき
簡単に解釈すると、東京というモダンな都市にも、カシの巨木があるじゃないか。思わず笑ってしまう、といった意味だろうか。(略) この句の場合、大都市の東京と古代の信仰の対象である巨木を組み合わせながら、その矛盾を破顔という言葉でつないだところが、俳句らしい面白さになっている。
Seiseiさん、Notify me of follow-up comments via email.
にチェックマークを入れると多分、私が返事をしたらそちらに通知がいくのだと思います。
本当によく続きましたね!試験が終わったらゆっくり拝見します。長句は今日作ります。
あ、そうでした!すっかり忘れていました!