古い方のブログで書いたが、ライターの友人Ericka Lutzの旦那様がマダガスカルの小さな村で12/28に急死された。エリカとお譲さんのアニーはクリスマス休暇で一緒だった。
以下のエッセーはその二週間ほどの前に書かれたものだ。
英語が読める方はぜひ原文で読んでください。いかに美しい文章を書くライターかがわかりますので。
「抱擁」
ビルと一緒になった最初の年、私は緑の草原を描いた。その中心には二人の人間が座ったベッドが漂っている。二人は互いに眼を見つめ合い手を取っている。
最初の年、私たちはそんな感じだった。抱擁し、互いを救い、そして互いのすべてだった。
それから時が経ち当然のように私たちは変わった。変わらなければならなかったし、変わるのが適切なことだった。自分たちの世界から外に出はしたけれど前の世界とのつながりは続けた。来る晩も来る晩もビルは私の横で眠った。彼の暖かさはいつもほんの数インチ先にあった。
彼は今地球の裏側にいる。何か月もこうして離れて暮らすことは今回が初めてではないけれど、これだけ物が多くなってからは初めてのことだ。私たちの家を見れが何が多いかがわかる。
ビルのいない家ではそれだけ目に見える物が増える。ビルには「種の原則」論があった。何もないきれいな表面に何かを置けばその表面には「種」が植え付けられて、誰もがそこに何かを置かなくてはいけない気になる。その種を取る役割のビルがいない今、種はどんどん芽を伸ばし、蔓をからませている。
今や表面と言う表面に衣服や紙や靴(ローラから奪った靴)があふれている。ローラは靴をくわえるのが大好きなのだ。「ローラ、放して!」私たちが命令すると、しっぽを振って捕まえてみて、とダンスを始める。「さ、よこしなさい」靴を何とか口から引き離し、そして一番近くの家具の上に置く。ビルが家にいる時は靴はきちんと靴であるのだけれど、いない今、タイツやTシャツ、上着がその上で繁殖している。長い一日が終わると私は家に着くや殻を脱ぐことにしているからだ。
ビルがこのキッチンを見たら叫び出すだろう。シンクには2日分の洗い物が山と積まれている。先週は(いつもの通り)通りにゴミを出すのを忘れた(その作業には家中のゴミ箱を空けるという動作が含まれている)。リサイルの袋はあふれて、ドッグフードの缶やペーパータオルの芯が顔を出している。
バスルームでは、ディッシュウォッシャーに運ばれていない、毎晩飲む水のグラスが6個ほど溜まりだした。シンクにはコンタクトレンズ液やフェースクリーム、カミソリ、歯ブラシ、歯磨き、使った後のなどがあふれている。
寝室では私たちのスレイベッドがある床には、ジーンズ、タオル、ハイキングの服、テリーレッドのローブが投げ出されている。ベッドはしわくちゃで、サイドテーブルには、New Yorkers誌、本、ティッシュが山積みになっている。ビルがいなくなってから彼の側で眠っている。そこが空っぽなのはいやだからだ。そうすれば寂しさが少し紛れる。
1週間に1度は部屋を片付ける。私だってきちんと整頓された静寂な部屋が好きだけれど、物があると人が誰か寄り添ってくれているような気がする。
私は一人暮らしをしているわけではない。娘のアニーと一緒だ。結婚はしているし、今回の別居も夫の単身赴任のためだ。でもこれほど孤独に、まるで独り身のように感じたことは20年以上ない。
23歳の時、ルームメートが見つからず一人暮らしをしたことがある。サンフランシスコのミッションストリートの小さなスタジオアパートだった。2階の部屋の窓からは通りと裏の路地とが臨めた。それは怖い場所だった。布団に一人横たわり娼婦らが路地で客に仕える音を聞いていた。初めて一人暮らしを始めたその夜小さなアパートのキッチンで鱒を料理した。鱒、ベークドポテト、茹でたブロッコリ。とても良い香りがしたものだ。小さな折り畳み式のテーブルに座るとお尻がオブンのドアに触れるぐらいだった。そこで最初の一口を口に入れると、魚の鋭い骨がのどに刺さった。喉がこみ上げてくるようだったが、骨を出そうとすればするほど、それは奥へ奥へと落ちて行った。口はきけたし息もできた。涙を流すこともできたけれど、魚の骨はどうしても取れない。
父やボーイフレンドに電話をしようかと思った。でも次の瞬間には、階段を駆け降りてミッションストリートに出ていた。通りを渡るとちょうどバスが来たので飛び乗った。喉はまだゲホゲホしている。痛みも増してきた。停留所に着くたびに病院はないかと外を見た。苦しい!痛い!すると数ブロックを過ぎたところで喉が大きく痙攣して骨がするりと出た。
次の停留所で降りて、通りを渡り反対方向のバスを捕まえた。ゲートのカギを開け、階段を上り、ドアを開いてそれを自分で閉め、ハンドバッグをベッドに投げ出してまた小さなテーブルに座った。鱒はまだ温かかった。骨を注意深く取りながら魚の身を裂き、涙を流して食べた。
ビルに出会ったのはその2年後だ。アパートはその間何回も変わった。食事も満足に作れない、定職にもつかない漂流していた私を、彼はしっかりと錨でとどめてくれた。彼は二人の子供のいる結婚から自分を解き放ったばかりだった。その子たちはしっかりとつなぎとめていた。
今は二人とも自分の世話は自分でできる。ビルは今マダガスカルで家を借りている。アニーと私はルームメートのようになった。娘は自分で洗濯物をするようになったし、洗い物の手伝いもしてくれる。市街からバスに乗ることも覚えた。彼女は今16才だ。これはある意味では、私たちの小さな家族構成をゆくゆくは解いていくための練習のようなものだ。いつもアニーが最初にこの家を離れると思ってはいたけれど。
ビルはそれでも完全に私を離れたわけではない。私たちは強い愛情があり、互いへの忠誠は変わることがない。毎日のようにスカイプで話をしその合間にeメールやTwitterまでしている。今でも一緒にいるようだし、今でも互いに愛し合っているし、あくまでこれは一時的なことなのだ。
ビルは完全に私を離れたわけではない。今はいない、それだけだ。
今私は一人ベッドに横たわっている。ビルがここにいたら、腕を伸ばして、最初の年のように顔を合わせて互いに抱擁するだろう。
夜中に私は起き上がって犬やアニーの安全を確認する。そしてまたベッドに、ビルの側に戻る。彼の足が私の足の上にないことを寂しく思いながら。彼の枕を私の体の上に積む。そうすれば寂しさがまぎれるから。
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抱擁(Holding)by Ericka Lutz
Posted in Friends' Works(友達の作品), tagged 翻訳, Japanese, translation, 日本語 on January 2, 2009 | 2 Comments »